Paris パ リ

  パリ散歩ルート順に閲覧   公園・広場

モニュメント

セーヌ河岸通り

モンマルトル パンテオン周囲

サンミッシェル・ノートルダム

ヴァンドーム広場

モンパルナス

 

その他

ステンドグラス 聖堂・教会 ライトアップ ソルボンヌ〜セーヌへ エッフェル・アンヴァリッド バスティーユ/マレ地区 オルセー・チュイルリー周辺 サンタンドレデザール

カフェ

鉄道駅・空港
  道・大通り   セーヌ に掛かる橋 パリ俯瞰 美術館・博物館 凱旋門/シャンゼリゼ ラテンクォーター リュクサンブール・パンテオン   レ・アル周辺  

壁の絵

 

 

筆者は、左岸のソルボンヌ大学に隣接するホテルを定宿としている。 シャルルドゴール空港からRERで1本で所要時間40分。 パンテオン、リュクサンブール公園に近く、ノートルダム、ムフタール通りでも数分。オデオン、サンジェルマンデュプレ教会、パリ市庁舎でも10分。ルーブルにも20分以内で全て歩いていける便利な場所であり、しかも終日静かな場所であるのが良い。ただ例外は、反政府デモなどがあると真っ先に騒々しく、しかも警察の警備が厳しくなる地区でもある。。

カルチェラタンにある私の定宿は、ローマ時代からその名を残し、現在も道路として厳然とあるキュジャス通り。サンジャック通りにも近く、ソルボンヌの一角を成す。その通りの南はローマ時代の市場、取引の中心であり、現ソルボンヌ側すなわち北側、セーヌ方面には浴場があり、現在もその遺跡を残しながら中世博物館として人々を集めている。キュジャス通りを東に2,3分歩くとパンテオン(ジュネビエーヴ)の丘頂上になり、どちらに下るかで、ローマから中世、近代と枚挙できな程の街、建物、歴史の風景がそこにあり、人々にも遭遇する。 ページ内の写真は歩行順に左から右へ、上から下へと配列。

キュジャス・ソルボンヌの定宿からの短時間散歩 topへ戻る
ソルボンヌ大聖堂近くの定宿周辺施設

足はついつい坂の下に向いて進んでしまう。ソルボンヌ通りを下るか、キュジャス通りを下ってサンミッシェル大通りを下るか、いずれにしても坂を下ってしまう。
デゼコール通りに出れば、ソルボンヌ正面にモンテーニュ像、その後ろにローマ浴場の跡で、中世博物館、ランボーとヴェルレーヌの泊まったホテルのあるサンミッシェル/サンジェルマン交差点。サンジャック通り側を下れば、サンセヴラン教会、セーヌを渡ってシテ島へと繋がる。 今日はどの橋を渡るかは、日光の位置と散歩の目的に依る。朝食をホテルで取る時は、出発前に、一気に午前中すべてをパリ散策に使う予定を立てるが、ぶらりと出た時は、適度にして一度ホテルに戻るか、カフェに入って午前中のルートを一気に決めてしまおうか?

シテ島-パリ警視庁-サントシャペル教会など
クルニュー公園をスタートに、ノートルダムに当たる
朝日を見に行く (モノクロ)
サンジャック通りをソルボンヌ〜モンパルナス方面へ

(モノクロ)ソルボンヌからサンジャック通りを南へモンパルナス通りまで下り戻る : 2005年04月26日朝、約束まで40分程あったので、F2とS3Proを持って、日は当たっていないサンジャック通りを北へ散策。 近代以前はパリ南北を走るメインストリートであった。

サンジャック通りをポルトロワイヤル通りへ歩く

(モノクロ)ソルボンヌからサンジャック通りを南へ : 2008年06月06日、前回(上)はポルトロワイヤル通りを前回は右折してリュクサンブール側に行ったが、今回は左折してバルデグラースを回り込むルートを取る。

ソルボンヌからのお勧め散歩ルート topへ戻る

ソルボンヌ 〜 パンテオン〜中世の城壁

ソルボンヌ - モベール広場 - ビエーブル通り - サンルイ島 - バール通り - 市役所等ルート
ホテルからキュジャス通りをまっすぐゆるやかに上がると、パンテオン、クローヴィスの塔、サンテチェンヌヂュモン教会のジュヌビエーヴの丘に付く、ムフタール通りと多くの名所がある。

同行者に新しい人が加わると、どうしてもこの道を紹介したくなる。アンリ四世校周辺を歩き、フィリップオーギュストの城壁跡界隈のソルボンヌ・パンテオンのあるサンジュヌビエーヴの丘を下り、モベール広場から、「アジエのパリ」の表紙になっているピエーブル通りを抜けて、セーヌ河岸通りを渡り、ルーブル裏からシュリー橋を渡り、サンルイ島に入ってからが、この写真である。サンルイ島のルイフィリップ橋を渡ると、バール通り、サンジェルヴェ教会を抜け、パリ市役所を見ながら、再びシテ島を抜けて左岸に戻るこのルートは、季節、時間、天候によって常に異なる表情を見せる。

パンテオン 〜 モベール広場

モベール広場 〜 ビエーブル通り 〜 ノートルダム〜

サンルイ島 〜 サンジェルヴェ教会〜パリ市役所
アジェ撮ったウルサン通りまで歩こう
ソルボンヌからの朝の散歩基本コース

ルーブル方面への散策コースも通りの数だけ多彩

リュクサンブール〜オランジェリー美術館まで 交通ゼネストの最中なので徒歩に頼るしかない。オランジェリー美術館に行く道筋としていつもの通りを少し変更して向かう。また違った街並みに出会える。
サンシュルピス教会〜サンジェルマンデュプレ教会 (モノクロ)ソルボンヌ(定宿近く)からサンジェルマンデュプレ、ルーブルへ    宿を出て、ヴァレット通りから直ぐにパンテオン方面へ、再び下ってリュクサンブール公園、オデオン、サンシュルピス教会、サンジェルマンデュプレ教会から、フランス学士院で左岸は終わり、デザール橋を渡り、ルーブル宮へと向かう

パンテオン〜ラプランス通り〜ゲネゴー通りへ

パンテオンからサンジェルマンデュプレへ  宿泊先ホテル近くパンテオン前のカフェで朝食を取り、ラプランス通りを下って、サンジェルマン方面へと歩き、フランス学士院のコンティ河岸通りまで歩く。 ゲネゴー通りをコンテ河岸通りまで出る。 目の前にデザール橋、その向こうにルーブル。
 サンミッシェル通り ・ノートルダム周辺 topへ戻る
リスマス早朝にソルボンヌからノートルダムまで 2005年12月は、19日早朝到着という正にクリスマスシーズンにパリに入り、朝から早速セーヌ河周辺を歩く。
シテ島、サンルイ等はセーヌの川幅が島により広がっているため、朝日の当たる東側も開けているのて、早朝散歩には最適である。
できれば、ノートルダムの屋上に上がりたいが、朝10時に開門。
そのノートルダムで夜明けを待ち周辺を散策
夜のサンミッシェル広場周辺  ホテルに夜到着しても、取り合えず下ってシテ島へと歩くことが多い、サンミッシェル広場にはレストラン、カフェも多く、セーヌを渡ってノートルダムを見るか、ポン・ヌフへ行ってシテ島先端から、ポンデザールを見るか、或いはサンタンドレデザール通りを行って、サンジェルマンデュプレ方面か、ポンデザール橋上まで行くか? そんな判断をするに最適な場所でもある。
夜のソルボンヌ広場〜サンジャック通り
ソルボンヌ聖堂前広場〜クリュニュー交差点 (モノクロ)定宿からサンミッシェル・クリュニュー博物館、公園へ   セーヌ川左岸カルチエラタンの中心地区で、人通りも非常に多い。筆者も滞在時には最も頻繁に通るコース
サンミッシェル〜セーヌ河岸通り〜ボンマルシェ   サンミッシェル交差点-ヴァンドーム- オペラ座-サンジェルマンデュプレ ボンマルシェ :日本より依頼された小物を探しに、久しぶりにタクシーも利用した移動で市内中心部を行く。サ ンミッシェル・サンジェルマンからタクシーに乗り、セーヌ左河岸通りから、ヴァンドーム広場へ、そこから徒歩でオペラ座先のギャラリー ラファイエットへ。 その後地下鉄を使って、サンジェルマン デュ プレで降り、ボンマルシェへ買い物に行く。
 ソルボンヌ〜パンテオン〜モンジュ通りへ

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パンテオン〜サンテチェンヌデュモン教会周辺 パンテオン北側地区へ早朝の散歩 : 2005年02月07日、定宿を出て、ヴァレット通りから直ぐにパンテオン方面へ、クローヴィスの塔、サンテチェンヌヂュモン教会から、デゼコール通りまで細い路地を曲がりながら歩き、サンジャック通りを上がり、ホテルに戻る
ムフタール通り〜モンジュ広場〜シュリー橋へ   ムフタール通りからモンジュ広場へ   ムフタール通り近くは、著名文人・芸術家達の初期下宿先として観光客も多いが、パリ大学が近くで、小さくても品のよいレストランも多い。    ホテルを出て、ヴァレット通りを上がり突き当たると左側にパンテオン。 その左によりサンテチェンヌデュモン教会があり、クロービス塔の間を抜けて少し回り込むと、フィリップ オーギュスト時代のパリ城壁跡を見ることができる。 戻ってムフタール通りに入り、途中でモンジュ広場へと降りる。モンジュ通りからカルディナール通りへ入りそのままアラブ研究所を右に見て、サンジェルマン通りと合流して、シュリー橋へ。
パリ発祥の地区近辺を歩く topへ戻る
ソルボンヌ〜セーヌ河〜パリ市役所〜ノートルダム 定宿から別ルートで中世パリのルートへ  2005年04月26日、定宿を出て、北へ、即ちセーヌ河方面へ下り、ソルボンヌ聖堂前を通り、クリュニュー中世博物館、サンセヴリン教会、ノートルダム、パリ市役所、リヴォリ通り、サンジェルベ教会、バール通り、サンルイ島と巡り、古代から中世パリの中心地域を歩く。

バール通り、サンジェルベ・サンプロテ教会

パリはここから始まった。 シテ島に隣接する右岸のバール通り、パリはここから始まったそうである。
サンダンドレデザール通りに入ってから行き先を考える
サンタンドレデザール通り〜マザリーヌ通り
〜芸術橋〜ルーブル宮
定宿からサンダンドレデザール広場、同名通りへ、そして途中マザリーヌ通りからフランス学士院、コンティ河岸から芸術橋歩道橋を亘る。
この橋から見るシテ島とセーヌ両岸はいつ見ても本当に美しい。

サンミッシェル広場〜サンジェルマンデュプレ教会

  サン・ミッシェル広場 - サンタンドレデザール通り - サンジェルマンデュプレへ
先にはシテ島に渡ったが、サンミッシェル広場からセーヌ河岸通りの1本内側のサンタンドレデザール通りに入る。 その狭い道を西に歩く。その先にはサンジェルマンデュプレ、ルーブルがあるが、歴史上の文人や政治家が集った地区であるという知識がない時から自然に足が向いてしまう通りである。まずは、デュプレ教会まで歩こう。
夕刻シテ島先端とポンヌフからセーヌを眺める     サンミッシェル広場から、細いが賑やかなサンダンドレデザール通りを通るが、途中で右折して、シテ島先端、ポンヌフへと歩く。 2005年08月06日。
僅かな空き時間でも、このような散策ルートが取れる。 ポンデザール橋は、その上からのパリも美しいが、このように橋の夕景を取るのも良い。
シテ島ーパリ市役所・ポンピドー、レアル地区へ    
パリ市役所〜ポンピドー〜レ・アル(ソルボンヌより)   (モノクロ)定宿からのルート (モノクロ写真での散策) 2005年08月07日、定宿を出て、北 セーヌ河方面へサン・ジャック通りを進む。ノートルダムを見ながら、リヴォリ通りを渡り、
ポンピドーセンター、イノセンスの泉、レアル、サントシュタッシュ教会へと進む。復路に当たる順路は、サンジャックの塔方面、即ちサンンミッシェル通りへと戻る。
ポンピドー 〜 サントシュタッシュ教会 〜 レ・アルへ ソルボンヌからサントシャペル教会、サンジャック塔を通りサントシュタッシュ教会へ :上と同じルートを2005年クリスマスシーズンに歩く。サントシュタッシュ教会では葬儀に遭遇、もちろんノートルダムではクリスマスミサ。  ルートを少し変えるだけで、同じ建築物も全く異なった様相になり、また探しても以前はなかなか見つからなかった場所、道、教会等が見えてくる。パリに限らず、これが散歩の醍醐味。
オペラ座、オスマン通り周辺 topへ戻る

オペラ座〜パレロワイナル

オペラ座周辺からパレロワイヤルへ  館、路地、泉など、撮影対象は非常に多いが、サンドニ門に向かっては100年以上前のパサージュ繁栄の時代には賑やかであったが、
現在では閑散としている。しかしパレロワイヤル近くには何故か日本食レストランが多い。観光客相手か? 私はWILLI というワインバーがあるので時々は出没する。

ポンピドーセンター〜オペラ座

ポンピドーセンターからオペラ座周辺へ  定宿は2007年11月末より全巻改装中であり、敢えてサラザール駅近くのホテルを予約した。日本人観光客が多いホテルであり余りにも今までのホテルの客層と異なる。改めてパリは観光地であり、日本からも多くの人が季節を通して来ていることを実感する。この日はレアルまで地下鉄で行き、散策後オペラ座を経由してサラザール駅近くへ戻る。
パレロワイナル〜オペラ座へ  
ソルボンヌからバスティーユ方面への3時間の散歩   フランス革命没発の象徴的場所であるハスティーユ牢獄後は今は広場、途中一般的な名所はないが、パリの歴史を語る多くを見ることもできる。パンテオンの丘から、バスティーユそしてヴォージュ広場、レアル地区から、ポンピドーセンターまで散歩する。
バスティーユへ (ソルボンヌ出発)   (1/4) バスティーユへ  :定宿である滞在ホテルを出て、ヴァレット通りを上がり、パンテオン、デカルト通りから、アラブ研究所を右に見て、サンジェルマン通りに合流し、シュリー橋を渡って、バスティーユ広場へと歩く。
ヴォージュ広場へ(バスティーユから)   (2/4) バスティーユからヴォージュ広場へ  :バスティーユ広場を南側から時計と反対方向に周り、ヴォージュ広場へと歩く。
カフェ ドゥ ヴォージュで休息後、サンタトワーヌ通りをポンピドーセンター方面へ移動する。
サンタトワーヌ通り〜国立文書館〜ポンピドーへ   (3/4) ヴォージュ広場からサンタトワーヌ通り経由ポンピドーセンター : サンタトワーヌ通りを歩き、途中シュリー館、 サンポール・サンルイ教会を見学後、フランソワ ブルジョワ通りへと曲がる。 Blancs Manteauxという名の聖母教会も見て、ポンピドーセンター方面へ歩く。
サントシュタッシュ教会〜レ・アルへ (4/4) ポンピドーセンター北からサントシュタッシュ教会へ :ヴォージュ公園から西方向に走るフランソワ ブルジョワ通り 、Rambuteau通りを経由してポンピドーセンターとその北にあるフォーラム レ アルに辿り着くが、更に西に向かうと、サントスタッシュ教会に至る。
 レ・アル 〜 シテ島経由でソルボンヌへ戻る   先にレアルまでの散策ルートであったが、イノサンの泉からリヴォリ通り、市役所、シテ島とソルボンヌまで戻る
ノートルダムではクリスマス ミサを行っていたし、サンセヴラン教会には内部彫像にライティングが施されていた。
クリスマスシーズンの照明 東京のライトアップはパリやニューヨークという海外の影響から始まったと巷間言われているが、本家はそれほどではない。三脚を設置した観光案内はプロに任せてスナップで追う。
サンラザール駅〜オペラ座(クリスマス照明)   サンラザール駅からクリスマスイルミネーションを見て散策 :ルーアン市への日帰り観光の帰り、パリ最古の鉄道駅であるサンラザール駅から、オスマン通りのデパート、プランタン、ギャラリー ラファイエットのクリスマスのライトアップを見ながら、オペラ座方面まで 人ごみのなかを散策。
ヴァンドーム広場〜コンコルド〜サンジェルマン
(クリスマス照明)
  ギャラリー ラファイエットの派手なクリスマスイルミネーションを見た後、ラベ大通りの先にあるヴァンドーム広場に照明らしき灯りが少し見えたので、
ヴァンドーム広場から、サントノーレ、コンコルド広場、サンジェルマンデュプレまで歩く。
2007年

 

シャンゼリゼ周辺を歩く

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モンターニュ通り〜シャンゼリゼ ジョルジュサンクへ ブランド店のあるモンターニュ通りから、シャンゼリゼ・ジョルジュサンクへ歩く。 ブランド品買い物ルート
シャンゼリゼ ジョルジュサンク〜モンターニュ
〜アルマ橋へ
  (モノクロ)地下鉄ジョルジュサンク駅で降り、同名通りとセーヌ川方面へ歩く。
ブランド店た立ち並びウィンドーショッピングをして、カフェで休む。チョコレートの有名店に寄ったり、高額なワインショットバーで味わうのも良い。下まで歩き、モンテーニュ通りを右折すると、エッフェル塔を望むよい アルマ広場にでる。 冬の夜には、広場北側にあるレストランで牡蠣を食べながら、三脚を立て、エッフェルを撮る。
マドレーヌ〜サントノレ通り〜チュルリー公園
〜ルーブル〜ソルボンヌまで
 

マドレーヌ広場からサントノレ通り、チュルリー公園を経て、ルーブルからソルボンヌまでを歩く  経路を変更するだけで周辺の景色も一変する。 サントノレ通りは晴れていたが、ルーブル近くから雨に降られ、コンティ河岸通り、サンミッシェル広場と雨は強くなった。

 

ルーブル・チュイルリー公園を起点に散策    

サンジェルマンデュプレ〜マラケ河岸通り〜
オルセー河岸通り〜オルセー

  (モノクロ)サンジェルマンデュプレからオルセー美術館へ  サンジェルマンデュプレ交差点から、同名教会を眺め、ボナパルト通り等を経て、
Malaquais河岸通り、Orsey河岸通り沿いに歩き、オルセー美術館前に至る。

オルセー〜ソルフェリーノ歩道橋〜チュイルリー公園
〜カルーゼル凱旋門

  オルセー美術館からチュイルリー公園へ  セーヌをソルフェリーノ歩道橋で渡り、チュイルリー公園内を、カルーゼル凱旋門を通り、ルーブル ピラミッドへと歩く。
    オルセー美術館屋上からセーヌを眺める   :
チュイルリー公園を起点に散策    
チュイルリー公園〜サンロック教会〜サントノレ
〜ヴァンドーム広場
  チュイルリーからヴァンドーム・サントノーレ方面へ  観覧車に乗った後、リヴォリ通りを渡りピラミッド駅方面に歩き、サンロック教会を左に見て歩く。
サントノーレ マルシェを左に見て、ヴァンドーム広場へとサントノーレ通りを歩き、同じ道を引き返し、チュイルリー公園へと戻る。
チュイルリー公園〜ルーブル〜オペラ座   ルーブルからオペラ座へ ルーブルピラミッドを離れ、最近では殆ど向かわないオペラ座へと歩く。
相変わらず観光客の最も多い場所でもある。 オペラ座右前のカフェ・ドゥ・ラ・ペは著名なカフェのひとつ。
エッフェル塔、アンヴァリッド周辺を歩く    
シャン・デ・マルス:エッフェル塔のある公園   1900年パリ博覧会会場となる。セーヌ河よりにはエッフェル、東に陸軍学校、北にアンヴァリッドと続く
シャイヨー宮 〜 凱旋門 〜 シャンゼリゼ   シャイヨー広場からKLBER通りを登り 、シャルルドゴール広場のエトワール凱旋門へ、そしてシャンゼリゼをくだり、地下鉄ジョルジュサンク駅へと歩く。
この交差転移は、新装成ったルイヴィトンの店と、著名はカフェ フーケッツがある。
ロダン美術館〜アンヴァリッド〜サンジェルマン大通り   ロダン美術館からアンヴァリッドを経てサンジェルマンデュプレへ   2005年04月26日、ロダン美術館にて、館内でのカミーユがモデルの試作の見て、庭園内の彫刻の後景にアンヴァリッドのドームが見え、次にそこに入る。 ナポレオンの棺等々を見学後、正面大通りにてエッフェル、アレクサンドル橋を望み、サンジェルマンデュプレ迄歩く
サンジェルマンデュプレ〜ブルボン宮〜アンヴァリッド  上のルートに続いてのコース
サンジェルマンデュプレ裏のカフェに立ち寄り、河岸通りに出て、オルセー美術館、再びサンジェルマン大通りを渡り
ブルボン宮から、アンヴァリッド、アレクサンダー三世橋で、セーヌを渡る。

モンマルトル散策

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モンマルトル サクレクール寺院   サクレクール寺院から、帰りにはケーブルカーで下るという楽な方法もあるが、何も旧跡を辿ることができない。
モンマルトル アベス駅〜テアトル広場)   2007年2月 アベス駅からモンマルトルの丘を歩き、散策。 2時間半程のコースを4ページに分けて表示
モンマルトル:サクレクール寺院〜ヴィンセント通り   サクレクール前広場から、寺院内のステンドグラスを見て、寺院の周囲を歩いて、北側急階段を下りる
モンマルトル:ブドウ畑〜 ローズハウス〜風車   サクレクール寺院周辺からビンセンント通り、ラパンアジール、ユトリロのばら色の家、ブドウ畑等を見る
ムーランドゥラガレット〜ピガール   ムーランデラガレット等風車を見てモンマルトルを降り、ムーランルージュ近くへ出て、ピガール広場で地下鉄に乗る
サクレクール   サクレクール寺院周辺
モンマルトル遠景   パリ市内から見えるモンマルトルの丘。 このサクレクール寺院があるので遠景でもすぐに分かる。
建築物・モニュメント   topへ戻る
エッフェル塔    エッフェル。 2大 新ゴシック建築のひとつ。他は英国国会議事堂
エッフェル塔 夜景 

東京よりもはるかに都市としての空間グランドデザインができており、いろいろな場所からエッフェル塔は見える。

エッフェル塔の細部を見る    夜ではあるが照明が強いので、敢えて骨組みを夜間に撮影してみる。
遠くから見えるエッフェル塔    遠くから見えるエッフェルを集めてみました。
凱旋門 (エトワール広場)

凱旋門     ナポレオンの提案で1806年に着工、30年かけて完成した世界でも最大級の門。壁面はナポレオンの戦いや義勇軍の出陣を描いた彫刻で飾られている。

凱旋門の上からの風景

凱旋門の上から撮影    使用カメラの問題か?、数枚撮影後、係員より強制的に階下へ下ろされました。

凱旋門 (カルーゼル・ルーブル)    
アンヴァリッド   ナポレンオンの棺を中心に、フランス軍の勇姿を称える
ルイヴィトン    2004年5月、シャンゼリゼ通り店工事中。特異な工事現場装飾許可される
パリ市役所 パリ市役所。  マラソン出発点。  フランス革命時、バスチーユを襲った市民がここを占拠。パリ コミューンでも市民が自治政府を置く。1871年コミューンの最後とともに炎上、1874〜82年に再建。
フィリップオーギュストの城壁跡 他の古代都市と同様、パリも城壁都市であった。しかしパリは小さく、フィリップ王城壁の内部は約4平方キロの狭さであった。城壁その外側の掘割は未だにパリにその城壁そのものを残し、壁などに応用した建造物も多くある。極めつけは、マザリーヌ通り地下有料駐車場の柱と壁か?
モンパルナスタワー パリは、4つの丘とそれに囲まれる盆地とそこに流れるセーヌ河が地勢的名構成要素である。モンパルナス の丘に建つこのモンパルナス高層タワーは、エッフェルよりも多くの場所から見ることができる。、
コンシェルジェリー シテ島右岸側に建つ。14世紀、カペー朝の宮殿として造営。下層部分は15世紀には牢獄として使用され,フランス革命時には1200人も収容。
フランス学士院   フランスの国立学術団体。 17世紀に絶対王政のもと、アカデミー・フランセーズなどの団体(王立アカデミー)が設立されたが、
フランス革命後の1793年、いったん廃止された。1795年10月25日にフランス学士院として創設され、現在はアカデミー・フランセーズ及び4つのアカデミーで構成される。
グランパレ・ プチパレ   19世紀終わり、20世紀初頭の万国博覧会の為に建築された。 アンヴァリッド、アレクサンダー三世橋とフランクリン ルーズベルト広場を結ぶ道路の
中間に位置し東にプチパレ、西にグランパレ。
オペラ座    
北 駅 交通ゼネストにぶつかってしまった。やっとの思いで北駅に着いたが。以北には走らないとのこと。滅多に北駅の外に出ることはないので、新鮮な空気を吸いに正面を出て、カフェに入る。実はその前に駅の出口で大勢にビジネスマン風の男女が並んでいる様子が見えたのでそれに興味を持って近くまで行き、ついでにカフェに入ったという次第であった。
サン・ラザール駅

パリのターミナル駅で一番古い歴史を持つ。画家クロード・モネは、このサン・ラザール駅を題材にした連作をいくつか描いている。駅内部の列車が到着する様子数枚、および駅ホームの北端よりウーロップ橋とその下を通る線路を眺めた場面の絵などがある。1998年に併設地下駅のオスマン=サン=ラザール駅(Hausmann-Saint-Lazare)が開業し、RER-E線の終着駅となる(2004年現在)。 2003年全自動運転の最新メトロ14号線がサン=ラザール駅まで延伸し、駅正面ファサードの左端に球形ガラス張りの新たなメトロ入り口が生まれ、メトロ地下駅の内装も全面改装された。

クローヴィスの塔 左岸ソルボンヌ地区(サン・ジュムヴィエーブの丘)に建つ塔である。 ローマ帝国が進駐した現在のラテン地区は、その後もパリの中心であった。 4世紀後半より始まる本格的なゲルマン人の移動にともない、ゲルマン人の一派であるフランク人がガリアに定住した。481年にクロヴィス1世 クローヴィスがフランク諸族を統一してメロヴィング朝フランク王国を建国する。
美術館・博物館   topへ戻る

ルーブル美術館

  ルーブル・博物館。最古の城壁都市時代は、防衛塔であった
ルーブル ピラミッド   ルーブル ピラミッド
ルーブル美術館(2)   ルーブル博物館
ルーブル美術館(3)   2005年2月始めの撮影
ルーブル美術館館内   10余年ぶりに入ったルーブルは、内部も随分と変わっており、モナリザも別な場所にあった。撮影する積りはなかったが、許されているので館内の窓から見える風景などを中心に最小限のシャッターを押した。地下のフィリップ・オーギュストの壁を見るのも目的ではあったが、見事な照明に映えるその壁の跡は、パリの町に散在する同じ壁とは思えなかった。
     
オルセー美術館   旧RER鉄道駅舎(ルーブル−オランジェリー両美術館の間の時代を受け持つ:写実主義と産業革命の影響下)
ロダン美術館 かつての有名な館であるが、庭にもレプリカが展示されいた。オリジナルはオルセーにあるものもく、ロダン の天才性、技術の奥深さを示す美術館のような印象を持った。
しかし上半身でけの未完成の彫像をみただけで、充分に満足のいく美術館であった。
ポンピドーセンター パリ市役所からサンジャック通りを北上して直ぐ左。サンドニ通りが南下してくる決して上品でない地域に斬新な設計で建設された。南にサンメリ教会、西にレ・アル、東にマレ地区を配し、その内部にある美術館は、オランジェリー美術館以降の、藤田嗣治、モディリアニ、写真家マン・レイ、ピカソ、カンジンスキー等までキュービズム、シュールレアリスムまでをカバーする美術館がある。欧米人には最も著名な観光スポットである。2007年春は、新国立美術館にて特別展示された。
オランジェリー    
ピカソ美術館     

公園・広場

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コンコルド広場

コンコルド広場 コンコルド広場はもとは「ルイ15世広場」という名であり、フランス革命が起きるまではルイ15世の騎馬像が設置されていた。
その後処刑場となり、革命広場へと変わり、現在の呼び名となる。
1793年にフランス革命でルイ16世やマリー,アントワネット等1343人がギロチンで処刑された広場。 「ルイ15世広場」「大革命広場」と変更し現在の「コンコルド(調和)広場」となる。

エトワール広場(シャルルドゴール広場)   凱旋門サークル   シャンゼリゼ、エッフェルからの道、新凱旋門への道等々
ヴァンドーム広場 サントノレレショッピング街、或いはオペラ座からコンコルドへの途中、円形広場として、大きな塔のある場所、高級ホテル、ブランド店等のある中心的な場所のひとつ、 オペラ座と大通りで直線インキ結ばれている。
ヴォージュ広場  ヴォージュ広場へ(バスティーユから)
バスティーユ広場 バスティーユは元来パリ東の防衛施設として機能していた。フランス革命時には牢獄として使用され、7人が収監されていた。
パリ祭りの中心施設ではあるが、現在は広場としてのみ残っている。
   
パレロワイヤル  
ヴィクトール広場

17世紀後半、この広場にフィヤード元帥によるルイ14世を讃える騎馬像が据えられた。ルイ14世像は、頭上に月桂樹を載き戴冠式用の礼装をしている。広場を囲む建物のファザードはマンサールが設計したが現在の騎馬像は革命時に取り壊され、19世紀に再建されたものである

   
サンミッシェル広場  
クリュニュー広場   東にサンジャック通り、西にサンミッシェル大通りにはさまれた地区であるが、ローマ時代は正に街の中心であり、傷痍兵を癒すこをと主たる目的としてはいるが、一般も利用することができた風呂があった所である。 現在は中世博物館。ちなみに私が定宿としている所はローマ時代はフォーラムといい市場であった。
マドレーヌ寺院広場     
コントレスカルプ広場 パンテオンのあるサンジェルヴィエーブ丘、フィリップオーギュスト城壁外側にこの広場はあり、ムルタール通り、デカルト通りなどを中継する。現在では欧米人観光客に有名なロケーションのひとつ。アーネストヘミングウェイは、パリの初期滞在時にはこの近くのデカルト通りのアパートに夫婦で住んでいたと「移動祝祭日」に書かれている。
モベール広場  

数日前まで、就職条件の法整備に関してソルボンヌを中心にデモや騒動があった。商店街のガラスなどにその名残は残っていた。サンミッシェル通りからデゼコール通りを経て、市場のあるモベール広場へと歩く.

リュクサンブール公園 (1)   カトリーヌ・ド・メディシスの宮殿をして造園された公園。 パリ左岸の地理的中心で、リュクサンブール宮殿側からは、オデオン、サンジェルマンデュプレも近い。

リュクサンブール公園 (2)

  筆者の定宿もこの名の地下鉄駅から徒歩2分。 公園内には多くの彫像あり。
Vert Galaant Park Cite シテ島先端の小さな公園

チュイルリー公園内の観覧車

 2005年8月始 毎年チュイルリー公園には観覧車他移動遊園地が開催される。 高所恐怖症ではあるが、俯瞰でパリの街を見る良い機会であると思い、意を決して乗ることにした。
日本の観覧車より3倍以上の速度なので、シャッター速度を1/500に固定して撮影。

チュイルリー公園

ルーブルとコンコルド広場の間 に位置する大きな公園であるが、かつてはチュイルリー宮殿のある場所であった。。
ストラヴィンスキー広場  

1977年に開館した設計家 レンゾ・ピアノ氏の手によるポンピドーセンターとサンメリ教会との中間に位置する公園。 ストラビンスキーという名よりも、その奇抜なオブジェで観光客の目を惹く。ポンピドーセンターは現在パリでも最も来訪者の多い場所である。

ルーブル前庭  ピラミッド  
フランクリン ルーズベルト広場  
市庁舎前広場 以前はグレーブ広場と言われたパリ市役所前の広場。古代のパリが漁村であった時代から、中世には処刑も行なわれたという。
現在はパリマラソンの出発点でもあり、ビーチバレー大会も行なわれる。
モンマルトル サクレクール前広場    

 1987年のルーブルとカルーゼル門

1987年 パリで印刷機材展示会があり、機械メーカーと同行した。その際、オリンパスのコンパクトカメラでルーブル チュイルリー公園を撮った。

  1987年のパリその他の風景

1990年 ストップオーバー時ホテル近辺
レ・アル

古くから商業の中心地であり、12世紀には中央市場(レ・アル)の原型が誕生した。第二次世界大戦後、1959年には市場を郊外に移転することが決定し、さらに1960年代にRERの構想が具体化すると、この場所に各線を接続するを建設することになった。1971年に市場はランジスに移転し、跡地で駅とフォーラム・レ・アルの工事が始まった。1977年12月9日にA線、B線の駅が開業した。またこれに合わせてメトロのレ・アル駅が移設された。フォーラム・デ・アルは1979年に開業している。この時点ではB線は南方向への折り返し駅だったが、1981年12月10日にシャトレ-レ・アル駅 - パリ北駅間が開業し中間駅となった。1987年9月27日にはD線がB線の線路を利用する形で北側から乗り入れた。1995年にはD線のシャトレ-レ・アル - リヨン駅間が開業した。

その他の著名地域、建築物 topへ戻る

シテ島内の風景

 
  シテ島。 Cityの語源か?文明はどこでも川、海沿いの良港が中心となり発展

1987年当時のシテ島付近

Parc de Expositionで行なわれたパリ 印刷機材展示会に初めて出展者として参加した。ホテルと会場を往復する毎日で、しかも未だカメラを趣味の対象としていなかったので常時持ち歩いていなかった。またパリの街もというより街そのものに興味を持っていなかったので、結果写真も多く撮っていない時代であった。パリ市役所、エトワールの凱旋門、ルーブル、サンジャックの塔、サンジェルマン ローセクトワ教会等々1枚ずつは撮っていたようなので、ここに記憶としてファイルした。
パリのカフェ カフェ発祥もやはりパリである。労働者の集まる安食堂、酒場とは一線を画し、文人・芸術家達はここで語らい、ワインを飲み、食事もした。貴族、金持ちの館で催されるパーティへデビューする機会を待つ芸術家達もここでチャンスを待った。 現在は観光客が多く、著名店は非常に料金も高い。

Others

その他のパリ風景
セーヌ川に掛かる橋 topへ戻る
シャンジュ橋   Pont au Change:シャトレ-シテ島間に掛かる橋。 サンミッシェル広場からシテ島、コンシェルジェリーを左に見て右岸に渡る橋
橋の上に両替商が立ち並んでいたことに由来する橋名。 ナポレオンのNマークか? 他にも同じマークの橋あり。
プチポン     Petit Pont:小橋。 京都にも三条小橋があるが、、ノートルダムに最も近い橋 。ローマ時代の都市計画に基づき建設された橋はプチポン(小橋)、グランポン(大橋、現ノートルダム橋)と呼ばれた。 ポンヌフ(新橋)が建設されるまで、シテ島には北岸に3本、南岸に2本の橋があった。
アルコール橋 Pont dArcole:右岸とシテ島を結ぶ。左岸行きはドゥブル橋 。通当初の2年間はグレーヴ歩行者橋と呼ばれていた。現在のアルコル橋という名前の由来は、ナポレオン・ボナパルトがオーストリア軍を破ったアルコレの戦いであるという説と、フランス7月革命でここに倒れた若き共和主義者の名前であるという説がある。
ドゥブル橋    Pont au Double :ノートルダム前広場と左岸を結ぶ。 4区のシテ島と5区のモンテベロ河岸通りを結んでいる。名前は渡るのに2ドゥニエ必要だったことからとられた。ドゥニエとはフランス革命以前に使われていた貨幣単位で1ドゥニエは1/12スー。1ドゥニエでりんごや梨一個、2ドゥニエで卵一個が買えるほどの価値だったらしい。
渡橋が有料であったことからラテン地区の学生、名もない若き芸術家は、左岸の縫い子、美容師と遊んだという。
トゥーネル橋   Pont de la Tournelle:サン・ルイ島と左岸のトゥールネル河岸通りを結んでいる。 トゥールネルの名は12世紀ここにフィリップ2世の城壁の見張り櫓tourelleが建っていたことに由来する。 
アルシェヴァシェ橋  Pont de Larchevecheシテ島と左岸のモンテベロ河岸通り・トゥールネル河岸通りを結んでいる。1828年に架けられた。アルシュヴェシェ橋はパリでもっとも狭い橋であり3の脚からなる石造アーチ橋は、朝日を受けるノートルダムを撮る最高のポジションであるトゥーネル橋、同河岸通りにからのアングルには必須のアイテムでもある。
カルーゼル橋   Pont du Carrosel:コンクリートアーチ橋で、チュイルリー河岸とヴォルテール河岸を結んでいる。
デザール橋  Pont des Arts : セーヌ川左岸のフランス学士院と右岸のルーヴル宮殿のクール・カレを結んでいる。ルーヴル宮殿は第一帝政時代にパレデザール(芸術の宮殿)と呼ばれていたため、ポンデザール(芸術橋)と名付けられた。
 デザール橋 Pont des Arts night scene
 デザール橋   Pont des Arts neighborhood ルーブル宮、 フランス学士院他。
サンミッシェル橋  Pont Saint Michel 左岸サンミッシェル広場とシテ島を結ぶサンミシェル大通り。 1378年に初めて橋がかけられて以来、数回架けかえが行われてきた。現在架かっている橋は1857年にポール・マルタン・ガロシェ・ド・ラガリセリとポール・ヴォードレの指揮のもと架けられた3連アーチ橋である。出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
マリー橋   Pont le Pont Marie: サン・ルイ島とオテル・ド・ヴィル(市庁舎)通りを結んでいる。  マリー橋はパリで最も古い橋の一つである。
ルイフィリップ橋  Pont Louis Philippe左岸からシテ島、サンルイ島、右岸と連続して繋ぐ右岸側の橋 。 ルイ・フィリップは彼が王座につくことになり、彼自身の名が付けられた。流れに対してやや斜めに架かっていた。この橋は1848年の2月革命で焼失してしまい、再建されたあとは『改革橋』と呼ばれていた。
シュリー橋    Pont Sully: サンジェルマン大通りの東端はこの橋に繋がる。左岸 - サンルイ島 - 右岸への2つの橋を含めてこの名を使う
ポンヌフ  Pont Neuf: 新橋。シテ島に掛かる現存最古の橋で、シテ島西端。シテ島の南側にアーチが5つ、北側にアーチが7つあり、全長278m、幅28m。
ポンヌフ  Pont Neuf neighborhood(シテ島にかかる近代最古の橋。)とその近辺の風景
ポンヌフ  Pont Neuf night scene (意味は、新橋)の夜景
ノートルダム橋   Pont Notre Dame :シテ島と右岸を結ぶサンジャック通り(中世はメインの大通り)の橋 。 この場所はパリで初めて橋が架けられたところである。そのころはグラン・ポン(大きな橋)と呼ばれていた。
ロワイヤル橋  Pont Royal : 右岸のフローラのパヴィリオンと左岸のバック通りを結び、左岸のオルセー美術館と、右岸のチュイルリー公園を連携させる。5つの半円アーチからなり、両岸の橋脚にはセーヌ川が大増水したときの水位が記されている。
サン・ルイ橋  Pont Saint Louis: シテ島東端とサンルイ島左端を結ぶ。 現在使われている橋は1970年に完成。初代の橋はサン・ランドリ橋という名であった。
ソルフェリーノ 歩道橋  Pont Solferino セーヌ川掛かる歩道橋は、ぽんとデザール橋(芸術橋)が有名であるが、オルセー河岸通りとチュイルリー公園を結ぶ
ソルフェリーノ橋も、近代的な鉄の歩道橋として見る、渡る価値は充分にある。
アレクサンダー三世    Pont Alexandre V: アンヴァリッドとグランパレ・プチパレを結ぶ パリ万博会場を結ぶ。
コンコルド橋   
アルマ橋    Pont de LAlma: シャンゼリゼ ジョルジュサンクから、1900年パリ万博会場のシャンドマルス広場へと続く。クリミア戦争のアルマの戦いにちなんで命名された。
イエナ橋   Pont dIena:パリ万博会場の シャンドマルス・エッフェルとシャイヨウー宮を結ぶ
セーヌ川河岸通り   topへ戻る
サンミッシェル川岸通り Quai St Michel
モンテベロ河岸通り Quai Montebello  ノートルダム近くの左岸河岸通り
モンテベロ河岸通り   Cite frm Quai Montebello シテ島を左岸から見る。
モンテベロ河岸通り  Quai Montebello 2005  2005年2月初旬帰国前に歩く
セーヌの河畔通り Quai Horloge & Bourbon、HorlogeとBourbon通り。 
ルーブル河岸通り   Quai Louvre  ルーブル宮とセーヌ河畔の通り
コンティー河岸通り    Quai de Conti  サンミッシェル通りから学士院へのセーヌ左岸の河岸通り
ヴォルテール河岸通り Quai de Voltaire
マラケ河岸通り     Quai Malaquais
通り (Rue, Avenue, Boulevard) topへ戻る

サン・タンドレ・デザール通り

St. Germain - Michelle    多くの文人或いは政治の秘密舞台となる
サンタンドレデザール通り〜サンジェルマンデュプレ    定宿からサンダンドレデザール通り、サンジェルマンデュプレを歩く。 2005年04月25日、ビジネス旅行では同行者がいるときが多い。少ない時間でもパリの散歩の王道たるルートを頻繁に歩く。 今回は夕暮れ時、道順に添って写真を配列
ビエーブル通り     
ヴァレット通り     ユージン・アジェが撮った場所ほぼ同じところから取ってみた。筆者の滞在ホテルはこの道の中間に東西に走るキュジャス通りを右折したところにある。車や、道沿いの店の変化以外、アジェの時代、即ち100余年は少なくとも変わっていない。
ムフタール通り   Moufetard   ソルボンヌ近くのホテルからムフタール通へ食事に向かうりからモンジュ広場へ。  深夜まで営業しているカルチェ・ラタン地区の治安安定しているレストラン街

サンミッシェル広場からサンジェルマン教会への道

St. Germain- Michelle

サンジャック通り

Saint Jacque Rue   サンジャック通りをソルボンヌ〜モンパルナス方面へ 昔はパリ南北を走るメインストリート。現在はシテ島を渡り、右岸に入るとサンマルタン通りとなる。

サンミッシェル通り

 St. Michelle Avenue  昔サンジャック通り今サンミッシェル。右岸左岸を結ぶ大通り
スフロ通り ナポレオン1世のパリ大改造のひとつ。 定宿とREF リュクサンブール駅との間にあり、最も歩く通りのひとつ
サンジェルマン大通り  St. Germain Avenue   コンコルド広場からセーヌを渡ると始まり、左岸をサンルイ島へと走る
クリュニュー・ソルボンヌ交差点   サンジェルマン・サンミッシェル通りの交差点   地下鉄クルーニー/ソルボンヌ駅
サンジェルマン・サンミシェル交差点 St Germain Cluny   ソルボンヌ大学街
サンジェルマン デュ プレ St. Germain du Pres  多くの文人、芸術家等が集った街。
デゼコール通り    
リヴォリ通り  

パリ右岸、セーヌ北側を東西に走る通り。 コンコルド広場にはじまり、チュイルリー公園、ルーヴル宮、シャトレ広場付近やパリ市庁舎北辺を、東にサン・タントワーヌ通り rue Saint Antoineへと繋がる。リヴォリの名の由来は、ナポレオン軍は数では劣勢でありながらオーストリア軍を破った北イタリアの町からである。

Cour  de Commerce    
     
ギャラリー ヴィヴィエンヌ    
シャンゼリゼ    
シャンゼリゼ  ジョルジュサンクのLVショップ    2004年5月、シャンゼリゼ通り店工事中。特異な工事現場装飾許可される
シャンゼリゼ ジョルジュサンク〜モンターニュ
〜アルマ橋へ
(モノクロ)地下鉄ジョルジュサンク駅で降り、同名通りとセーヌ川方面へ歩く。
ブランド店た立ち並びウィンドーショッピングをして、カフェで休む。チョコレートの有名店に寄ったり、高額なワインショットバーで味わうのも良い。下まで歩き、モンテーニュ通りを右折すると、エッフェル塔を望むよい アルマ広場にでる。 冬の夜には、広場北側にあるレストランで牡蠣を食べながら、三脚を立て、エッフェルを撮る。
モンターニュ通り〜シャンゼリゼ ジョルジュサンクへ   ブランド店のあるモンターニュ通りから、シャンゼリゼ・ジョルジュサンクへ歩く。 ブランド品買い物ルート
シャイヨー宮 〜 凱旋門 〜 シャンゼリゼ シャイヨー広場からKLBER通りを登り 、シャルルドゴール広場のエトワール凱旋門へ、そしてシャンゼリゼをくだり、地下鉄ジョルジュサンク駅へと歩く。
この交差転移は、新装成ったルイヴィトンの店と、著名はカフェ フーケッツがある。
聖堂・教会   topへ戻る
 ノートルダムの夜景を撮る   ノートルダム大聖堂(パリ大聖堂)は、セーヌ夜景に必須のパーツ

ノートルダム大聖堂 周囲を歩く

  ノートルダム大聖堂の周辺、特に内陣裏側から北側の路地を歩く。 「ノートルダムの鐘」の主人公の名をとった「カフェ カジモド」もあり

ノートルダム聖堂内、ステンドグラス

  もちろん三脚禁止である、明るい大口径レンズ開放ですばやく撮る。カメラの機材によっては手持ちでも拒否される。

ノートルダム大聖堂(1)

雨樋口に具象化された不浄、奇異な彫刻 -- ノートルダムのガーゴイルたち
土着信仰をうまく利用して、教会内は神聖な森の中、その外側には不純な獣、化け物達を配するという基本設計構造がゴシックの基本となる。北フランスを中心に、ブリュッセル、ケル、英国エクセター、ソールスベリーへ、南はミラノ ドゥオーモまで広範囲にその設計思想は拡がる。

ノートルダム大聖堂(3)

  大聖堂を周囲から撮った風景は、ついつい見飽きた構図になってしまう。 しかし早朝は良い。人は少なく、朝日が大聖堂の尖塔に当たり始めるころからサンルイ島、トゥルネイ橋、モンテベッロ河岸通りから見るノートルダムは美しい。
ノートルダム大聖堂内部   2005年2月 大聖堂内を高感度撮影で数ショット撮る。

ノートルダム クリスマスシーズン

  2005年12月 クリスマスシーズンの大聖堂内を手持ちで撮影
早朝のノートルダム 東側より   大聖堂は基本的に正門は西向き。よって早朝の光は内陣側から当たる。ノートルダムも同様で、宿泊地であるソルボンヌ近くから、モベール広場、
ビエーブル通り等を経由して東側からの朝日の風景を撮る。
ノートルダム鐘楼の上からパリの街を俯瞰 ノートルダム鐘楼上より 200数十段の階段を上がり、鐘楼上からパリ市街を撮影
どの聖堂の鐘楼も、西向きが原則で、東にポイントの多いノートルダム(パリ大聖堂)は朝少し遅めが最適。
ノートルダム鐘楼上からは朝日でパリが映える   朝10:00に開館し、階段を登れる。有料。この大聖堂はパリ中央部の比較的東にあり、朝登ると西側に拡がるパリの主要な教会、建造物が日を浴びて映える。ム鐘楼上より
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パンテオン

元はジュヌビエーヴ教会として中世には既に存在したが、ルイ15世の病気回復を祝い再建されたギリシャゴシック様式の神殿。地下墓地にはコルネール、ボルテール、文豪ユゴー、元文化大臣アンドレ マルロー、思想家ルソー作家ゾラなどフランス国家功績のあった文化人が眠る

ヴァルデグラース修道院

   
サント・シャペル教会 Saint Chapelle   ルイ14世が, 1248年に建設。旧約聖書の物語約1100の場面から成っており,その約半分は13世紀に造られた。 ステンドグラスの神秘的な輝きにつつまれた 2階の礼拝堂は,王や特権貴族が利用した。
サンテチェンヌ デュ モン教会   St Etienne du Mont   カルチエラタン地区。
サンテチェンヌ デュ モン教会のステンドグラス St Etienne du Mont Stained Glass
サンジェルマン デュ プレ教会内部、ステンドグラス St. Germain du Pres Church Inside
サンジェルマン・デュ・プレ教会周辺 St. Germain du Pres Neighborhood は有名カフェ、ブランドショップも多い

サン・ジェルベ教会

St. Gervais Church : 古代パリはこの地域(裏のバール通り)が発祥といわれる。西正門はパリ市役所と正対している

サン・ジェルベ教会  サンジェルベ教会内部 ステンドグラス

サンジェルベ教会

St. Gervais Church (2)サンジェルベ教会内部 ステンドグラス
サンジェルマン ルーセクロア教会 

 St Germain LAuxrrois Church : サントノーレ、ルーブルから右岸へはデゼコール歩道橋を通ることが多く、シテ島から左岸にはサンミッシェル、ロワイヤル橋を使い、今までこの地区を歩くことが少なかった。

サンロック教会

 Saint Rock Church  チュイルリー公園〜サンロック教会〜サントノレ
〜ヴァンドーム広場
サントノーレ通りにあり目立たないが内部の大きさはノートルダムに匹敵。 西向きではない数少ない聖堂

サンセヴラン教会   

 Saint Severin Church サンジャック通りにある

サンシュルピス教会

 Saint Sulpice Church  サンジェルマンデュプレとリュクサンブール公園の間にある非常に大きな教会。

 

サン トシュタッシュ教会 

 Saint Eustasche Church   1532年から1637年にかけて建設された巨大な教会。 ゴシック建築をベースにルネッサンス様式の装飾が施されていたが、現在は大改装中。
モーツァルトの母の葬儀も行なった由。私自身もたまたま入った時に葬儀中であったこともある。
サンポール・サンルイ教会  Saint Paul Saint Louis Church  ヴォージュ公園を南側に出て、サンタトワーヌ通りを歩くと、シュリー館を過ぎたところ左側に、サンポール・サンルイ教会がある。
ノートルダム ブラン マントー教会

 Notre Dame Blancs Manteaux Church : ヴォージュ公園から真っ直ぐ西にフランソワ ブルジョワ通りを歩くと、入り口は気付かないほどの小ささであるが、 ノートルダム  N D des Blancs Manteaux教会がある。 観光地ではないが、マレ地区の日常商店街として活気がある。ユダヤ人地域も近い。

サクレクール寺院  
モンマルトル遠景 パリ市内から見えるモンマルトルの丘。 このサクレクール寺院があるので遠景でもすぐに分かる。
サンピエールモンマルトル教会    
サン・ジャン教会   リモンマルトルの丘の下、アベス広場に面して建つ新古典主義時代の教会
サン・メリ教会    
パリを俯瞰(バードビュー) topへ戻る
コンコルド広場の観覧車より 例年11月になると観覧車が設置される。  寒い時期に上がりたくはないが、違った俯瞰を見たくて、乗ることにする。
チュイルリー公園内の観覧車より パリコミューヌの時に消失したチュイルリー宮はいまや広場と整然とした並木道となっている。夏にはをの空いた場所にメリーゴーロンド、観覧車が出る。 暖かい時期なので乗っ写真をとることにする。
ノートルダム鐘楼の上からパリの街を俯瞰 ノートルダム鐘楼上より 200数十段の階段を上がり、鐘楼上からパリ市街を撮影
どの聖堂の鐘楼も、西向きが原則で、東にポイントの多いノートルダム(パリ大聖堂)は朝少し遅めが最適。
ノートルダム鐘楼上からは朝日でパリが映える 朝10:00に開館し、会談を登れる。有料。この大聖堂はパリ中央部の比較的東にあり、朝登ると西側に拡がるパリの主要な教会、建造物が日を浴びて映える。ム鐘楼上より
凱旋門の上からの風景 凱旋門の上から撮影    使用カメラの問題か?、数枚撮影後、係員より強制的に階下へ下ろされました。
モンマルトルの丘から  
オルセー美術館屋上からセーヌを眺める 2008年06月  屋上よりセーヌ側を眺める。
リュクサンブール公園 topへ戻る
リュクサンブール公園 (1) カトリーヌ・ド・メディシスの宮殿をして造園された公園。 パリ左岸の地理的中心で、リュクサンブール宮殿側からは、オデオン、サンジェルマンデュプレも近い。
リュクサンブール公園 (2) 筆者の定宿もこの名の地下鉄駅から徒歩2分。 公園内には多くの彫像あり。
第二次大戦フランス開放の写真展 パリ解放60周年記念としてリュクサンブール公園側面に展示されていた写真。 余りにも如実にパリ解放を伝える写真であったので、禁じ手とは知りながら、このサイトでは全く使っていない小型デジカメを使って敢えて撮影した。
パンテオンとその周辺 topへ戻る
パンテオン ルイ15世の病気回復を祝い再建されたギリシャゴシック様式の神殿。地下墓地にはコルネール、ボルテール、文豪ユゴー、元文化大臣アンドレ マルロー、思想家ルソー作家ゾラなどフランス国家功績のあった文化人が眠る
サンテチェンヌデュモン教会   聖ジュヌヴィエーブ(パンテオン)の丘に立つカルチエラタン地区。
サンテチェンヌ デュ モン教会のステンドグラス 撮影は禁止であったが、最後の晩餐のステンドグラスまでは許された。
クローヴィスの塔 左岸ソルボンヌ地区(サン・ジュムヴィエーブの丘)に建つ塔である。 ローマ帝国が進駐した現在のラテン地区は、その後もパリの中心であった。 4世紀後半より始まる本格的なゲルマン人の移動にともない、ゲルマン人の一派であるフランク人がガリアに定住した。481年にクロヴィス1世 クローヴィスがフランク諸族を統一してメロヴィング朝フランク王国を建国する。
フィリップオーギュストの城壁跡 他の古代都市と同様、パリも城壁都市であった。しかしパリは小さく、フィリップ王城壁の内部は約4平方キロの狭さであった。城壁その外側の掘割は未だにパリにその城壁そのものを残し、壁などに応用した建造物も多くある。極めつけは、マザリーヌ通り地下有料駐車場の柱と壁か?
コントレスカルプ広場 パンテオンのあるサンジェルヴィエーブ丘、フィリップオーギュスト城壁外側にこの広場はあり、ムルタール通り、デカルト通りなどを中継する。現在では欧米人観光客に有名なロケーションのひとつ。アーネストヘミングウェイは、パリの初期滞在時にはこの近くのデカルト通りのアパートに夫婦で住んでいたと「移動祝祭日」に書かれている。
ムフタール通り ソルボンヌ近くのホテルからムフタール通へ食事に向かうりからモンジュ広場へ。  深夜まで営業しているカルチェ・ラタン地区の治安安定しているレストラン街

ステンドグラス

ノートルダム大聖堂    
サン・ジェルベ/サンプロテ 教会  (1)   

パリ発祥の地に建つユダヤ教会も兼ねた由緒ある教会

サン・ジェルベ/サンプロテ 教会 (2)  

 

サン・セヴラン教会    
サン・シュルピス教会    
サント・シャペル教会    
サン・トシュタッシュ教会    
サン・ロック教会    
サンテチェンヌデュモン教会    
サン・ジェルマン・デュ・プレ教会    
サン・ポール、サン・ルイ教会
ルーブル展示場内
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