ロワイヤル橋 : Pont Royal

1550年以来この場所にはテュイルリーの渡しがあった。バック(渡し船)通りの名前の由来である。 1632年、徴税官のバルビエが木製の有料の橋を架けさせたのが最初である。この橋はアンヌ・ドートリッシュにちなんでサンタンヌ(聖アンヌ)橋、またはその色からポン・ルージュ(赤い橋)と呼ばれていた。この橋は古くなったり、火事にあったりして何度か架け替えられている。1685年から1689年にかけて、ルイ14世が出資し石造アーチ橋が架けられた。そしてロワイヤル橋と名付けられた。設計を担当したのはジャック・ガブリエル、ジュール・アルドゥアン=マンサールとフランソワ・ロランだった。18世紀にはお祭り騒ぎがあると人々は好んでこの橋に集まってきた。
フランス革命期の1792年から1804年の間はナシオナル橋と改名された。続いて1814年まではテュイルリー橋と呼ばれていた。ナポレオンがテュイルリー宮殿を守るために大砲を並べたのはこの橋であった。ロワイヤル橋は1850年に一度修復された。その後1939年ポンヌフ、マリー橋とともに歴史的建造物に指定された。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    ソルフェリーノ橋上より  

ノートルダム鐘楼より望む

 
     
コンコルド橋よりソルフェリーノの先に見える
アナトール フランス波止場
カルーゼル橋から見る ソルフェリーノ橋右岸より望む
ヴォルテール河岸通りより ソルフェリーノ橋より望む