橋の計画は1725年にルイ15世広場(現在のコンコルド広場)の整備とともに始まった。この場所には渡し船があったのだが、それを橋に置き換えるためだった。1787年以降は技術者ジャン=ロドルフ・ペロネが責任者となる。革命の動乱の時代に橋を架けるためにバスティーユ牢獄の解体でできた石材を利用した。
1810年にはナポレオンが第一帝政期に名誉の戦死を遂げた8人の将軍の彫像を据え付けた。王政復古の時代にはこれらの彫像は12体の大理石像に取り替えられた。4人の偉大な大臣(コルベール、リシュリュー、シュジェール、シュリー)、4人の陸軍軍人(バイヤール、ルイ1世コンデ公、ベルトラン・デュ・ゲクラン、テュレンヌ)、4人の海軍軍人(レネ・デュゲトルーアン、アブラハム・デュケーヌ、ピエール・アンドレ・ド・シュフラン、トゥールヴィル)である。しかしこれらの像は重すぎたたため、ルイ・フィリップが撤去し、ヴェルサイユ宮殿に移してしまった。
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