モン・サン・ミッシェル : France

ロバート・ウィーランのキャパ関連書籍には、このような記述がある。「キャパ、ヘミングウェイとその仲間は、Dデイの後、このモンサンミッシェルに着き、1週間滞在した。
城壁をよじ登り、深夜モルタン村周辺のノルマンディー地方の農村で繰り広げられるドイツ軍の抵抗の閃光を見た。

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一行は城内のホテル「ラ・メール・プラルド」に滞在し、女主人のシュヴァリエ夫人を仲間に引き入れ、ドイツ軍から隠しておいた上等なワインとご馳走を大いに楽しんだ。」。
数あるフランスの観光地のなかで最も著名であることは旧知ではあったが、パリから往復8時間掛かることから、観光への持ち時間の少ない旅の身には、全く縁遠いところ
であった。冬なので客も少ないだろうと予測して、先ずパリからTGVでレンヌへ行った。グリーン車であったのでアジア系の顔は殆ど見なかったが、レンヌで乗ったパスは、
全員日本人観光客であった。その全員であつことに本当に驚いた。バス路後半は寝てしまった為、遠景から少しずつ現れるモン・サン・ミッシェルを見逃してしまった。
横浜生まれで、横浜育ちの筆者が持つモンサンミッシェルの印象は、行く前も、現地の散策・見学中も、また日本帰国後も「やはり江ノ島」であった。


お定まりの遠景と夜景    島は入り口が狭く、内部が膨らんだ湾内にある。干満の差が最大で10余メートルということであるが、
このような地勢条件は日本にも多くある。謂わば有明海に浮かぶ江ノ島(神奈川)か、アルカトラズ
(サンフランシスコ)といったイメージである。このような地形のため、北に突き出しているこの島を美し
く撮るにはその湾の周囲からが条件。しかし今回は島内の最も有名なホテルに宿泊し、翌朝には,、
パリに帰る旅程であるので、モンサンミッシェルへの車用アプローチから撮影となった。
干 潟   風と動きの速い潮によって異なる文様を作り出す。干潟に集まる鳥類、潮の流れが早く、引き潮の時
に取り残される魚達も多い。

城壁から教会を目指して

  かつては満潮時には小舟のみが交通手段であったが、今は観光用に自家用車、観光バス専用と思
われてもインキか仕方ないアプローチ道路がある。パリから始まる巡礼路も多くあるが、その中でも
サンジャック塔から始まりるスペインのサンチャゴデコンポストラと同じ位に信仰を集めていた。
教会内部というのはどこからか?というのは難しい。実際には宿泊先ラ・メール・プラールの直ぐ上隣
に小さな堀と頑丈な扉があるので、そこからが内部ということであろうが、これはモン・サン・ミッシェル
がひとつの小さな城壁集落と考えれば、その入り口であり、教会としての入り口とは異なる。実際に
昔は巡礼者、今は観光客がひしめく土産物店、郵便局、ホテル、レストランが細い上り坂に連なる。
先の門から直ぐに城壁を上がり、教会とは程遠い砦としての雰囲気を感じながら登る。
 
西正門から内陣へと進む   しばらく急な坂、階段を歩いていくと、やはりあった。教会堂の門の前に拡がる広場があった。
しかも結構広く、しっかりキリスト教会としての原則である、西向きである。欧州各地のゴシック建築の
教会を見てきたが、大きな教会を持つ町ほど大きな都市となっており、建立当時は広い周辺地域を
所有していた教会も現在は僅かな周辺のみになっていることに慣れてしまっているので、モンサンミッ
シェルもこの広場からが教会であると感じる。ゴシック時代の教会内部と比べるまでもないが、内陣
に入ろう。もちろん三脚禁止。コンパクトデジカメには目をつぶってくれても、D-200クラスからはチェック
が掛かる。以前に経験したことだが、凱旋門の屋上では、私のFUJI SP-PRO2は駄目で強制的に、
地上に降ろされた経験があるが、その際同行していた得意先のMAMIYA645はOKであった。
どうも目立つカメラは駄目らしい。そんな訳で、モンサンミッシェルは2回目の訪問はないだろうと決めて、
ISO感度を800に変更して速射と決め込んだ。
教会内部を歩きホテルに戻る   趣味ではないが今までヨーロッパの教会は随分と多く見てきたが、事前知識の通り、ここモンサンミッ
シェルは違う。先に島の評価を江ノ島と例えて顰蹙をかっているいると思うが、むしろ比叡山だ。
中心となる聖堂は、聖職者全体或いは巡礼者を併せた全体の礼拝に使うのであろうけれど、他にいく
つもの小さな礼拝堂がある。しかもその数が多い。歴代の司教、或いは聖人と称えられた聖職者達の
名を冠した礼拝堂が続く。途中に場内の入り口から一気に荷物を引き揚げるハムスターの運動用に
見られるののと同じ人力回転滑車もあるが、その礼拝堂の多さには飽きる程であった。軽んじる積もり
は全くなく、このMSMの歴史はこういう小部屋の数即ち聖人となって聖職者の数で示されるのであろう。
バチカンは行ったことがないがきっとこの究極の姿があるのであろう。 参道を逆戻りするような感じで、
城壁の門をくぐりその隣にある「オムレツ」で有名な宿泊先であるホテルに戻る。
滞在したホテルと
島の外側
  モンサンミッシェル島の夕日の当たっている側を少し歩いてみた。山頂の教会まで歩き、周囲の景色を
見て、降りるだけの観光地。時間を持て余す観光客は、島の周囲にある岩場を歩くこと位しか手がない。
もう一度上がるには体力もないであろう。
雨の朝MSMを離れる   潮の満ち引きを意識せずににいた昨日であったが、朝8時頃のバスに乗ってレンヌ駅からパリ モンパル
ナスに戻り、そのままオルセーに行くことを予定していた我々には驚くことがあった。
MSM城壁を出て、バス停に行けない。潮が満ちてホテル近くまで潮が上がっている。別なゲートから外
に出てバスを待つが、冬の雨で強風、しかもバスがなかなか来ない。もう一度雨にけぶるMSMでも撮っ
ておこう。ふと「シェルブールの雨傘」がよぎる。確かこの地方の小さな町であるという記憶がある。
ドーバー海峡で英国と対峙している地方であり、雨も多いのであろう。