サン・ドニ :France

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サン・ドニ大聖堂(仏語:Basilique de Saint-Denis もしくは単に Basilique Saint-Denis) は、有名なフランス君主の埋葬地で、パリ北側の郊外に位置するサン・ドニにある。
 イギリスにおけるウェストミンスター寺院に当たり、フランス王のほとんどがバシリカに埋葬されている。しかしウェストミンスター寺院と異なり、即位式に使われることはない(フランスで戴冠式が
行われるのはランスのノートルダム大聖堂である)。サン・ドニ大聖堂は建築学的にも画期的な建物である。 回廊は、
ゴシック建築初期の主な建築のうち、「後陣(chevet)」もしくは東端が唯一現存している。
今日我々が目にするサン・ドニのゴシック構造は、アボット・シュガー(1081年〜1155年)によって1136年に始まり、わずか4年の建築期間を経たのち、
1144年6月11日に奉献された。
 しかし現存する建築の大部分は、13世紀の終わりに造られたものである。 
サン・ドニはフランスの王と王族が何世紀にも渡って埋葬されてきた場所であり、これによりしばしば「フランス王家の墓所」と
呼ばれる。 10世紀から1789年までのすべてのフランス王は、3人を除いて皆ここに埋葬されている。
修道院教会には、死者をかたどった墓のよい例がいくつかある。 王や王妃の墓の多くは上に像が彫られているが、フランス革命期、当局の命令により墓は労働者によって開けられている。 遺体は取り出されて、近くの大きな穴二つに埋められた。 考古学者アレクサンドル・ルノワールは、フランス記念博物館のため当局にかけあって多くの重要記念物を救った。 ギロチンにかけられたルイ16世、王妃マリー・アントワネット、王弟妃エリザベスの遺体はサン・ドニには埋葬されなかった。 彼らの遺体はマドレーヌ寺院の境内に埋葬され、酸化カルシウムで覆われていた。 病気で死んだ王太子の遺体は、パリのタンプル近くの教会の無縁墓地に埋葬された。 ナポレオン・ボナパルトが教会を1806年に再開させたが、王の遺体は埋められた穴に残されたままだった。 ナポレオンがエルバ島に流されると、王政復古がなされた。
彼らは、ルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸を捜すよう命じた。 わずかな遺骸、おそらく王のものと思われる骨、女性のガーターベルトを含んだ灰色の物質が1815年1月21日に発見され、サン・ドニに運ばれて地下室(crypt)に埋葬された。 1817年には、他のすべての遺体が入った穴が開けられたが、どれが誰の骨かを識別することは不可能だった。 それらの遺体はサン・ドニ地下室の納骨堂(ossuary)に置かれ、前に大理石板が2枚置かれ、何代ものフランス王朝の王族の名前が、教会に記録された順に何百人も連ねられている。

Saint Denis Cathedral

Saint Denis Cathedral Stained Glass

Saint Denis Cathedral Stained Glass (2)

 

  サンドニ大聖堂 パリ市北側。 歴代国王、大司教の墓地も兼ねる 

サンドニ大聖堂のステンドグラス。 シャルトルのモデルともなる 

サンドニ大聖堂のステンドグラス