USA & Canada

現在では、伝統的な産業構造が崩れ、あらゆる業界で原材料に近い分野から、最終製品に至るまで一貫生産することが一般的になっているが、私の活動するラベル印刷機械業界にも、それを実行できる機械を製造しているメーカーが存在する。 それはカナダ モントリオール市郊外に所在する機械メーカーであり、私は、その日本総代理店となり、今までヴァンクーバー市しか行ったことのない筆者は、初めてカナダの東地区に行く機会に恵まれた。    郊外の工場地区のホテル宿泊が中心であり、市街地に出ることは殆どなく終日仕事を繰り返していたが、その地から近くのモントリオール市を訪れたり、米国内の機械ユーザーを見学する際に訪問する都市を散策できる範囲でスナップショットを撮る機会もあり、多少はそれらの都市の一部を切り取ることができた。

モントリオール

ケベック州最大の都市であり、カナダ全体でもオンタリオ州トロントに次ぐ第2の都市である。大都市圏の人口約370万人(2009年横浜市程度)は北米で15番目、世界第77位の規模。面積は約4千km²滋賀県程度)。2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、世界第31位の世界都市に選ばれており[1]、カナダではトロントに次ぐ第2位である。

住民の大半がフランス系を中心にしたヨーロッパ人である一方、市の約26%は非白人。モントリオール大都市圏の約3分の2が第1言語をフランス語とするが、多くの住民が英語も話す。パリに次いで世界第2の規模をもつフランス語圏の都市であり、フランス文化の薫り高い異国的な雰囲気、美食の町、石造りの住宅街、街中にある数多くの教会、パリのメトロに似たゴムタイヤの地下鉄、石畳のヨーロッパ調の旧市街の街並みなどから観光客向けに「北米のパリ」と宣伝される。Joie de vivre(生きる喜び)を信条とするなど、生活や暮らしにもラテン的精神文化を色濃く反映している都会である。

 

ニューヨーク

32年前に、マンハッタン南の高層ビル内にある機械メーカーに訪問した時は、貿易センタービルは未だ1本であった。それから間もなく2本となり、2001年9月11日にテロによって消滅し、2010年4月に訪れるまで全く機会がなかった。しかし久しぶりのニューヨークはその時と変わらないと感じた。

ニューヨーク市はアメリカ合衆国北東部の大西洋に面し、巨大なニューヨーク港を持つ。市はブロンクスブルックリンマンハッタンクイーンズスタテンアイランドという5つの行政区(バロウ、ボロウ)に分けられる。2010年の国勢調査における市域人口は8,175,133人を数え[3]、陸地面積は790km²、人口密度はアメリカ国内の主要都市の中で2位である。 ニューヨーク都市圏の人口もまた国内最大であり、ハドソン川対岸のニュージャージー州ニューアークジャージーシティ、本土側のヨンカーズニューロシェル、およびロングアイランド等を含む都市圏は18,897,109人、コネチカット州スタンフォードブリッジポートニューヘイブンやニュージャージー州の州都トレントン、内陸のポキプシー等を含む広域都市圏は22,085,649人(いずれも2010年国勢調査)の人口を抱えている。 アメリカ合衆国の都市の中では公共交通機関が際立って多く利用されており、多くの交通機関が24時間運行している。また人口密度の高さと、その多様性も著しい。2005年の調査によれば、市内では170近くの言語が話され、人口の36%がアメリカ合衆国の外で生まれた人であった。 ニューヨークは「眠らない街」とも呼ばれ、そのほかにも「ビッグ・アップル、「ゴッサムといった愛称がある。

ニューヨークは1624年にオランダ人の手によって交易場として築かれた町である。この入植地は1664年までニューアムステルダムと呼ばれていたが、同年イギリス人の支配が始まって現在の名称になった。1785年から1790年まではアメリカ合衆国の首都としての役割を担った。市内には世界的に知られた地区やランドマークが数多くある。自由の女神像は、19世紀末から20世紀初めにかけて、アメリカへ渡ってきた何百万人もの移民を出迎えていた。 ロウアー・マンハッタンウォール街第二 次世界大戦以来金融の国際的中心地であり、ニューヨーク証券取引所が置かれている。エンパイア・ステート・ビルディングなど超高層ビルも数々建ち並び、ワールドトレードセンターもその一つであった。

 

フィラデルフィア

1682年クエーカー教徒のウィリアム・ペンが同志とアメリカに渡来、この地に居住区を建設したのが市の起源。ペンはこの地を古代ギリシア語で「兄弟愛の市」を意味する(Φιλαδέλφεια、フィロス=愛、アデルフォス=兄弟、ア=都市名につく語尾形)「フィラデルフィア」と命名した。 18世紀を通じてフィラデルフィアは北米最大の都市で、アメリカの独立前にはイギリス第二位の都市だった。独立戦争時、州議事堂(現独立記念館)で大陸会議独立宣言の起草が行われた。また1790年に合衆国の首都がニューヨーク市からフィラデルフィアに移ってくると、新都ワシントン特別区の建設が一段落する1800年までの10年間合衆国連邦政府の首都だった。 禁酒法時代には、かつての輝かしい歴史を有する街から一転して、マフィアが暗躍する全米最悪の治安の都市となった。 19世紀以来、フィラデルフィアは商業や海運の都市である。有名な大学(ペンシルベニア大学ドレクセル大学テンプル大学トーマス・ジェファソン大学など)があり、「センターシティー」という中心部に銀行や法律事務所が多く、フィラデルフィア連邦準備銀行、フィラデルフィア株式取引所もある。

 

 

 
フランス ドイツ ベルギー イギリス イタリア スペイン オーストリア ハンガリー ノルウェー ポーランド ポルトガル リヒテンシュタイン ルーマニア
スイス カナダ USA   Home